ESSAY

ラプラントの音楽を聴くこと

―想像力とやさしさについて

 

生まれながらにして、人はそれぞれ与えられたものがあるのでしょうか。天は彼に、朗らかさ、やさしさ、想像力、創造力を贈与したのです。彼はそれをまた、我々聴衆に音楽というかたちで差し出してくれます。それは、とても豊かで濃密で、温かな空間です。その中にぢっと座って耳を澄ますと、時間は引き延ばされて。縮められて。私の知らない世界に手がとどくのです。

 

音楽は形のないものです。手に触れることはできず、所有することはかないません。ですが体験として、しかもただの体験ではなく精神的体験、自身の中に普段は開かれていない意識や感覚が眠っていることを認識させてくれるのです。多くの過去の偉大な音楽家たちとその同時代を生きた聴衆たち。彼らの流した涙でできた河の流れがここまで大きくなったのです。いま、眼前に滔々と流れる音楽芸術のなかに彼らは今も含まれています。演奏会では、私たちもその流れに身を任せ、歓び、悲しみ、楽しみ、頬を濡らすでしょう。こぼれる涙のひとしずく。それがまた遠くの先まで流れを伝えていくのです。流れに身をゆだね心が感じるままに、大切にしまっておきましょう。すると滋養は徐々に全身に浸透していきます。

 

いま、私たちの周りにはモノがあふれ、お金さえあれば大抵のものは手にすることができます。ただ、どうでしょう、その価値は手にしたとたんに色褪せてはしまいませんか?彼の演奏会に来て、音楽を聴いたところで、何も手にすることはできません。当日配られる、プログラムとこのチラシは差し上げますが、そのほかに手に触れられる何かはございません。しかし、だれかはこの演奏会におとずれます。ここに居合わす人がみな、同時にそこで受け取ることができるのは、源泉から遠く離れた現在の音楽の大きな大河のひとしずく。それはそれは小さなひとしずくですが、心に染み入る滋養です。彼の豊かな音楽は私たちに想像力をくれるのです。言葉ではこぼれ落ちてしまう、別の豊かな人生がそこにはあります。聴き手それぞれが受け取った滋養は私たちの心を豊かにし、慰撫し、私たちが受け取り別のかたちで誰かに渡すことができるものです。すこし優しくなれるでしょう。その価値は大きくはなれど、色褪せることなく綿々と継がれていくのです。

  

4月のその日ライトアップされた舞台に置かれたピアノの前に彼は座って演奏をします。70年という人生が一瞬一瞬に音に変わっていくのです。それは未来を創造している瞬間ともいえるでしょう。その場に立ち会うこの幸福こそが彼の音楽をお勧めする理由です。

 

文:アイエムシーミュージック